VOICE of PR Planner (2016年1月)

「確信としての資格」
または 「知識の証明としての資格」

 

徳田 裕子

 

初めまして、徳田裕子と申します。北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院の先輩、石田隆雄さん(東芝メディカルシステムズ株式会社)よりバトンを引き継ぎました。箱根駅伝が大好きで、バトン(正しくは襷)と聞くと受け取らずにはいられなかったのですが、「わたしはPRプランナーとして活動していない!」と走り(書き)出しながら冷静になっています。

ではわたしは何をしている人なのか。それはイベントです。最近MICEと呼ばれる「Meeting(会議・研修・セミナー)、Incentive(報奨)、Convention / Conference(大会・学会・国際会議)、Exhibition / Event(展示会・イベント)」を生業としています。現職の外資系製造販売会社ではお得意様向けの報奨旅行(I)やコンベンション(C)を中心に、過去には国際専門見本市(E)の主催側運営や、会議室・イベントホールの管理・営業補佐(M)もしておりました。イベント関係を多角的に経験してきて、順調にイベントのプロとしてのキャリアを積んでいるつもりです。

そんなわたしが「PR」という言葉を意識したのは、アメリカの大学に在学していた時でした。ジャーナリズムを専攻しており、わたしの選択分野は「テレビメディア」でしたが、選択肢としては「雑誌」「新聞」等のトラディショナルメディア、そしてメディアを活用する「PR」も含まれていました。PRのクラスを取っている同級生が「水道局のリリースが課題で……」と言っている中、わたしはカメラセットを背負って地域ネタを取材することが日課でしたので、最初はまったく響いていない分野でした。

が、その後テレビ局のニュースルームでインターンシップを経験した際、わたしの仕事は【送られてくるプレスリリースに目を通し、ニュースになるものを選び出すこと】でした。地方のテレビ局でしたが、毎日数十通と届く封書を開け、ファックスを整理し、送られてくるメールをチェックし、、、と数の多さに圧倒されたことを覚えています。イベント告知や新製品発表、、、一つ一つ丁寧に読んでいては時間が足りなくなるため、見出しと最初の数行で「取材候補」「取材はしないが取り上げ検討」「ボツ」と仕分けていました。取材決定となった内容には、カメラマンと同行し取材の手伝いもしていたため、リリース内容と実際との比較もできました。この時の経験が、PRする側になった際に大いに役立ったと思います。

大学卒業後、そのままアメリカで「PR Specialist(兼社長秘書)」として働きました。アメリカ人と日本人の共同ベンチャーだったため、すべての業務を日・英で行うことが必須でした。わたしは唯一の文系社員ということで、会社の公式サイト(日・英)の改修・記事内容更新や、ニュースレターの発行、ボランティア活動等、会社の顔となるようあらゆるアプローチを取りました。いつしかイベントボランティアが癖になり、今のわたしがあるわけなので、世の中何が転機になるかわからないですね。

日本帰国後は北海道大学の大学院にて<ぶっ飛んだアメリカ帰り>から、ごく一般的な、日本社会に受け入れられる、普通のバイリンガル女子として矯正を行い、今日にいたります。

知識があるということを証明することはとても難しい。英語ならTOEICのスコアが重視されるように、PRプランナーはコミュニケーションのスペシャリストというように捉えてほしいと願って受験しました。わたしがアメリカで行っていたPR、大学院で学んだ広報、それらをPRプランナー試験を受けることでよい復習となりました。最近はPR協会が主催するセミナーやイベントに積極的に参加するように心がけています。

癖から趣味になり仕事になったイベントは、今もわたしのライフワークとも言えます。このPRプランナー資格の最大の贈り物は、異業種とのネットワーキングであり、常に最新の事例に触れる機会であり、そこから得る仕事へのヒントです。イベントの世界だけでは出会えなかった人と出会えることが、資格以上の価値を提供していると感じています。今後とも、よろしくお願いします。

次はバトンを水口雅登さんにお渡しします。水口さんとはPRプランナー交流会で知り合いましたが、とても楽しい話題で盛り上がったのを覚えています。
興味深いお話を、是非お願いします!

 

 

 

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