VOICE of PR Planner (2016年4月)

 

(株)アゲハスプリングス

高田 朋子

  株式会社アゲハスプリングスで全社のPR・広報を担当しております、高田朋子と申します。今私は妊娠8 か月で、妊娠後期に突入しました。先日は終日MV撮影で、大風が吹く三浦半島で灯台めぐりのシーンを撮影してきました。妊婦です。 今回の妊娠がわかったのは昨年11 月のジャカルタ出張前で、酷いつわりもまぎれてよいだろうとウキウキしながら現地に入ったものの、ジャカルタの渋滞にやられ、まったく生きた心地がせぬまま、PRを担当しているアーティストの現地でのケアや取材対応、初めての海外現場で右往左往する若いスタッフの指導・育成と、あっという間に帰国しました。 上長にのみ報告をしておりましたが、日々の業務と子育て、1年前にTOKYO FMを退社し起業した夫の広報サポートに追われ、言うタイミングを逃しに逃し、きちんと会社に報告をしたのが先月3月下旬。5月中旬には産前休業に入り、順調にいけば6月末に第2子をもうけます。 そして2 度目の産休。 クリエイターのスターを作りたい、音楽プロデューサーの価値をもっと世の中に伝えたい、という強い思いを持ってアゲハスプリングスに転職したのが2010年5月。レコチョクとソニーミュージックとアゲハスプリングスがタッグを組んだオーディション企画が大々的に実施された年で、全社のPRを担って欲しいということで採用されました。 前職はホリプロでタレントのマネジメントに携わっておりました。マネジメントに関しては経験とそれなりの自信があったものの、PRとプロモーションを混同してしまうレベルの26歳。そんな私にアゲハスプリングスはたくさんの機会と出会いと学びを与えてくれました。PRに関してお恥ずかしながら全くというほど知識はありませんでしたが、マネジメント経験で培ったデザイン思考、ブランディング、下ネタにオヤジギャグを武器に、今ではPR本部の部長、チーフプランナーとなりました。「部長になった。」と報告すると、前職でお世話になった方々はみな大笑いで喜んでくれています。(実際、いわゆる【部長】という貫禄はなく、そんな【部長】ビジュアルでもありません。)とにかく、何もできなかった22歳の私を完璧にプロデュースし仕上げ、転職の際には背中を押してくれた前職の上司には感謝してもしきれません。 さて、私がPRプランナーの資格を獲得したのは2014年。そのときもちょうど妊娠から出産、そして育休期間でした。安定期に入っていた1次試験は余裕だったものの、2次試験の日の明け方に急性胃腸炎になり日赤へ。大事をとって試験は見送りに。出産後、産休中に2次試験、3次試験を受けました。その当時は授乳をしていたので、試験中、とにかく胸がぱんぱんに張り、帰りたい、一刻も早く自宅に帰りたい一心で解き続けました。そんな受験者も、中にはいるんです ね。 資格を取得しての復帰でした。幸いにも長女は第4希望の保育園に入園することができ、さらには会社や家族からの大きな理解と厚いサポートを得て、自分自身の意識の変化はもちろんなのですが、PRプランナーの資格試験の勉強を通して確かになったPR領域の知識にこれまでの経験が相まって、復帰してからのほうが仕事の量も質もスピードも、そしてその成果も格段に変わりました。 クリエイターのスターを作りたい、音楽プロデューサーの価値を世の中にもっと広めたい、アゲハスプリングスの音楽、エンタテインメントをたくさんの人々に届けたいというシンプルな思いは今も変わらず、それが私のアゲハスプリングスにおけるPRのテーマです。 もうまもなく産休に入りますが、それまでにオウンドメディアをまたひとつ立ち上げます。デザインから構築、リソースの確保にスタッフ育成、私不在でも濃いコンテンツが更新され続けるようなフローを確立させます。そして、2017年4月からはまた復帰できるよう、お休みの間は子育てを通してクリエイティブ思考を活性化させ、そして世界の素晴らしいアイディアやアートに触れる機会を、たくさん持ちたいと思っています。