VOICE of PR Planner (2016年3月)
地域と都市、地域と世界をつなぐ翻訳者として旅を続ける
まちづくり観光デザインセンター
代表 かとう けいこ
Luther Vandross の楽曲、She’s A Super Lady を水口雅登さんから照れながら受け取った札幌在住の、かとうけいこです。最初になぜPRプランナーを目指したかについて聞いてください。 働く女性の目標ともいえる、読売新聞東京本社編集委員永峰好美さんがプランタン銀座取締役だった当時(2008年秋)に書かれた読売夕刊コラムで、「PRプランナー」という資格を知りました。これは勉強する必要がある!とピンときて、その日のうちにHPで試験システムや試験日を調べ、次の試験日には東京会場に私はいました。2次、3次と進むと周りは20~30代のデキそうな若手ばかりで強いアウェー感。しかし、なんとか1 回で合格できた時には、驚きつつ久しぶ りの達成感に包まれました。 受験しようと思い立った当時、シーニックバイウェイ支援センターという中間支援組織の広報部長でした。専門紙の編集長や、広告代理店でマーケティング担当をしていたものの、広報部長という肩書がかなり重かったのは事実です。私にとってPRプランナーの勉強をすることは必然で、それを知らせてくれた永峰さんに心から感謝しています。 PRプランナーの資格者となってからは、自分の組織や北海道の各地で活動する仲間のグループ(1,000ほど)が取り組むボランティア事業やイベント、参加者を募るツアーのプレスリリースの掲載率・取材率を意識するようになりました。自分が新聞社時代、毎日届くプレスリリースを斜め読みし、受け取ったその日に大半を破棄(申し訳ない)していたことを思い出し、“捨てられないプレスリリースを作ること”について研究を重ねました。 その結果、①気になる見出し ②1 枚で理解できる写真 ③いつでも対応しますとアピールする問い合わせ先など、基本を大切に簡潔にまとめるしかないと気が付きました。記者との日頃からの情報交換や、頼まれたことには必ず応えるといった信頼関係の構築はもちろん大切です。こうしたノウハウを、スタッフや地域の仲間へ伝える指導にも力を注ぎました。その結果、取材率が80%を超えるようになっていました。 5年前に起業してからは、北海道に欧米豪の個人旅行客をお招きするための基盤整備や人材育成、各地の若者や女性たちを元気にして地域全体を活性化、食と農や地方と都会をツーリズムでつなぐ、直売所や道の駅のリニューアル、地方の航空路線利用アップ……など、多様なプロジェクトに関わっています。 フィールドも179ものマチがある北海道の端はしまでに加え、東北や四国に広がり、ついに海外にも。前述の仕事は、一見つながりがないように見えるかもしれませんが、「輝く人を探し励ましてさらに魅力的になってもらう積み重ねが地域の総合力となり、その結果地域が元気になる」が共通のテーマであると捉えています。 様々な地域資源を世界に向けて発信するためには、地元の方が気づいていない特別な宝物を私が心から感動して伝えるという意味での「翻訳」。国内の大都市や外国の方に響く表現方法、デザイン、提示場所や手法などを使い分けるという意味での「翻訳」が必要だと感じています。現場においては、地域の方と広告代理店の営業やデザイナーが使う言葉が日本人でありながらお互いに理解できず、間に入る私が「翻訳」する必要を感じる場面も少なくありません。 「地域の人の思いやオンリーワンの魅力を、届けたい相手に的確に伝えることによって、地域が元気になるはず」この思いで今後も進んでいきます。この春から社会人になる息子、大学でしっかり学んでいる娘世代のためにも、頑張らなくては。 多分この先も旅を続けるだろう私から、ミスチルの「終わりなき旅」を、音楽プロデュースを軸にレーベル運営、広告戦略までを手がける株式会社アゲハスプリングスの高田朋子さんにバトンタッチしたいと思います。